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質素な暮らしこそ幸せな生き方である理由。お金持ちは実は質素?

質素な暮らしと聞くと、何をイメージしますか?和テイストな、シンプルな食事、部屋には必要最小限の物だけの暮らし、などでしょうか。ここでは質素な暮らしと、本当のお金持ちの暮らしはどのような暮らしなのか、それがどうして幸せなのか、一緒に考えてみましょう。

目次

質素こそ幸せな生き方である

質素な暮らし、と聞くと、ありふれた毎日をイメージし、憧れる、とまでは思いませんね。毎日、雨の日も風の日も、満員電車に揺られて通勤、長時間拘束され、週末の休みは疲れをとることで終わってしまう。 そんな日々を過ごしている人ほど、質素な暮らしに幸せを見出せず、楽してお金が欲しい、悠々自適に暮らしたい、そんな願いを持っているのではないでしょうか。 おいしいものを好きな時に好きなだけ、欲しいものはお金のいとめなく買って、住む家はタワーマンションの上階。質素な暮らしとは程遠い、誰もがそれを幸せな暮らしだと思うことでしょう。 実際のところ、質素な暮らしはつまらなくて、お金がたくさんある生活が本当に幸せと言えるのでしょうか。

日本人の幸福度調査では、ここ数年、順位は下がる一方。衣食住は満たされ、質素で暮らすことは当たり前となり、快適に不自由することなく暮らす日本人。 となると、モノやお金では幸福感は得られていない、というのが実情と言え、たくさんあるからと言って、幸せであるとは言えそうにないようです。 では、本当の幸せは、どのようなところにあるのでしょうか。主題の質素の中から見える幸せを探ってみましょう。

本当の金持ちの生活は意外と質素?

たくさんのお金があれば何が欲しい?と考えるのが、一般的だと思います。しかし、世界で有名な資産家たちに共通することは、「質素な暮らし」をしていることです。 高級な車、宝石、豪邸、高級食材など、お金持ちの人と聞けばイメージするキーワードですが、どれも縁がない質素な生活をしています。 質素でありながら、自分の心地よいと感じる家に住み、食事も社員食堂や、ファストフードなどを食べ、服装ももちろん質素、特に目立った装いをするわけではありません。 わたしたちがイメージするお金持ちとはずいぶん違った質素な生活をしているようですね。

高級ホテルで食事をしても、高級車でドライブしても、気持ちが満たされるのは一時的で、それに慣れると、またさらに高級なもの、と、きりがありません。 お金持ちの人は、そのようにお金をつぎ込むことでは幸せになれないと知っています。自分の身の丈に合った、「質素」な生活の中に幸せを見出し、心の豊かな質素な生活を送っているのです。

日本人は豊かなのに幸せになれない?

戦後以降、焼け野原だった日本は高度経済成長で、質素でありながら何不自由ない暮らしを手に入れました。当時の日本人たちの恩恵を受け、現代に生きるわたしたちは、質素な暮らし以上にさらに便利で快適な暮らしをしています。 食べたいときに注文すれば、欲しい場所に届くデリバリー、お掃除はロボットが、公共機関もICカードがあれば、切符を買わずに乗ることができます。 質素な暮らしでは満足せず、モノはあって当然、それに付加価値をどんどん付け、本当に便利な世の中になったにも関わらず、わたしたち日本人の心は乾いています。 ここでも、質素な暮らしは当然で、モノやお金では幸せになれないことが実証されていますね。

さらには、SNSをはじめとする個人の生活の一部を発信することが身近なこととなりました。それは質素な暮らしは見せず、キラキラした生活の一部だけを発信していることに使われているように思います。 しかし、自分をよく見せよう、関心を持ってもらいたいという願望や、逆に他人の幸せそう、楽しそうな一面に嫉妬するなど、豊かでありながら、満たされない感情に振り回されています。

また、いつのころからか、質素な生活とはかけ離れ、商業施設やコンビニなど、365日、24時間営業が当たり前となりました。いつでもあいているので、行きたいときに買い物したり、食事することができます。 その裏側では、深夜勤務や、休みは不定で働く人々、コンビニやスーパーにおいては、食材が大量に廃棄処分されるなど、わたしたちの見えないところにたくさんの問題が発生しています。 その便利さは、誰かの、何かの犠牲の上で成り立っている、そう思いませんか。そんな現状では、心からの、誰もが求める幸せ、そして質素な暮らしには程遠いのではないでしょうか。

質素な生活が幸福度を高める理由

では、なぜ、わたしたちは、質素な暮らしでは満たされないにも関わらず、モノやお金があることで幸せとは感じられないのでしょう。また、質素な暮らしの中で見えてくる幸せとは何なのでしょうか。 質素な暮らしについて、いくつかに分けてお話ししていきます。

お金は暮らせるだけあればいい

質素な暮らしでありながら、好きな仕事を楽しく続けるのには問題ありません。 質素な生活では満足できず、お金はたくさんあったほうがいいと、賃金のいい職に就いたりしようと考えます。しかし、それと引き換えにするのは、自分の労力と時間。 お金を得るために、労働時間を増やしたりしていては、せっかく得たお金を使う時間もありません。休みとなっても疲れ切った身体を休めるために使うだけとなってしまいます。 ならば、質素に暮らすことを一番に考えれば、時間もでき、心の余裕ができて、幸せも感じられるのではないでしょうか。

お腹よりも心を満たす食事

レストランなどで、一定料金で好きなだけ食べられるバイキング形式の食事。たくさんの量を食べられる人にはいいのでしょうが、金額に見合っただけ食べないと損!と思って、無理に食べたりしていませんか。 質素でいれば、自分の満足できる量を食べればそれでいいので、そのようなレストランに行くほうが、割高になり、体調も崩してしまうかもしれません。 ごちそうでなくても、食べきれないほどの量がなくても、質素でも心許せる人と食べる食事のほうが何倍も幸せを感じられます。

身体は一つしかない

「フランス人は10着しか服を持たない」という本が数年前流行りました。「ミニマリスト」という言葉も最近よく目に留まります。質素に似通った、シンプルに、必要最小限で暮らすことに注目されています。 その反面、洋服が安価で買える店が増え、購入者である私たちの購買意欲を駆り立てます。安くで洋服が買えることに喜びを感じてしまうのです。 たくさんあることに喜びを感じるのもつかの間、質素な暮らしからほど遠くなるほど、クローゼットに入りきらなくなったりして、あふれる洋服を見るたびに、うんざりした気持ちになります。 身体は一つしかありません。質素に自分が本当に気に入った洋服を何枚か大切に着るほうが、管理もしやすく、特に気に入ったものであれば、その洋服を着るたびに幸せな気持ちになれるのです。

四季を味わう

質素な生活をする中で、四季を感じることはいろいろな面で幸福感を得られますが、ここでは体調管理面からのお話しをします。 暑いから、寒いからと言って、空調のスイッチを簡単にピッとオンにしていませんか?特に暑い時期は我慢しすぎると命にかかわるので、お勧めできませんが、人間にはそもそも環境に適応できる機能が備わっています。 質素に暮らすと、自分が本当に必要だと思うとき以外は、空調も必要最小限に使いたくなります。まずは衣服で調整、寒ければブランケットを1枚、暑ければ、風通しを良くしてしのぎます。 そして、質素に、四季の気候に自分の身体を合わせることにより、体調も上手に管理できるようになり、年中元気で暮らせます。質素に空調と付き合うと、体調を崩すわずらわしさも縁のないものとなり、幸福を感じられるでしょう。

住まいもシンプルに

家族を持つ人なら誰もが憧れる、マイホームですが、質素な暮らしと結びつくでしょうか。都市部なら、利便性の良い土地に住まいを構えるのはかなり高額な買い物となることでしょう。 となると、通勤・通学に時間がかかるが郊外に居を構えることとなり、家族それぞれが何かを犠牲にしてマイホームに住まうという結果になります。 さらに、核家族世帯が主な家族形態である現代、子どもがそれぞれ成長し、巣立っていけば、夫婦二人には広すぎて、不便な地であれば、老後の不安も出てきます。 質素な暮らし、そこから幸福を見出せるとすれば、モノにこだわることなく、その時その時の生活スタイルに合った質素な住まいに変えていけることが、幸せにつながる場合もあるのではないでしょうか。

質素な生活で幸福度を高めるためには

ここまでで、質素な生活を見つめなおしてきました。モノとお金があることが幸せとは限らないということが、質素の中に幸せがあるということが感じていただけたでしょうか。 ではここから、質素な生活で幸福を感じられる方法をいくつかあげてみましょう。

自分の周りを見渡してみる

朝になると目が覚め、一日の始まりとともに、準備を始めます。いつも通りの電車に乗り、学校や会社へ。時間になれば帰宅し、湯船につかり一日の疲れを癒します。 この当たり前のように見える生活、質素でなんの代わり映えもありませんが、この中にどれほどの幸せを感じることができるでしょうか。何も感じない、という人は、少し、質素な暮らしの中で、幸せと感じるラインを下げてみましょう。 例えば、定刻通りに動く電車、どれだけの人々の労力があってのことなのでしょう。それが毎日続くのです。事故や故障で電車が遅れて困ったこと、誰しもあるのではないでしょうか。 質素な中から幸せを見出す第一歩ともいえる、自分の日常が繰り返されることのありがたさ。それを感じることができるだけでも質素な生活が幸せに思えるでしょう。

モノやお金を得た時の幸せは一時的

普段質素と思う生活をしていると、ショッピングに行ってとても気に入ったバッグがあって購入した、それがセール中で思っていたより安く買えた、と聞くと、すごく幸せな気持ちになりませんか? 質素な生活の中での年に数度のことであれば問題ないのですが、欲しいかどうかもわからず、欲求を満たすだけの買い物は、一時的な幸福感でしかありません。さらにまた次、もっと欲しいと欲求はとどまるところがありません。 質素な暮らしをしていると、モノもお金も必要なものに必要な分だけ使います。お金も、自分が質素に暮らせるだけの収入があればいいと思っているので、現に収入が満たされていれば、労働時間を短くして、自分の時間を作ることもできます。 まずは、身の回りを見渡して、質素な生活の中から幸せを見出すために、自分に必要なもの、そうでないものを整理するところから始めませんか。

ハレとケ

質素な暮らしは当たり前の毎日で、何の楽しみもなく、平凡でつまらないと思っていませんか?しかし、毎日がごちそう、毎日がパーティ、そんな毎日は数日で飽きてしまいます。 また、そんな毎日の中でもっと満足いくものをと求めるときりがありません。ここで、質素な日と特別な日、いわゆる「ケの日・ハレの日」です。 ケの日、つまり質素な日、この日々があるから、ハレの日にはお祝いしたり、いつもと違う非日常を、心の底から幸せを感じられるのです。 質素な日が毎日、何ごともなく繰り返されること、それだけで感謝であり、幸せなことであるのだと今日からでも過ごしてみましょう。

幸せはすぐそばにいくらでもある

質素な暮らしはつまらない、お金があるから幸せ、高価なものが買えることが喜び、そんな考えを持っている人はまだまだたくさんいるでしょう。 戦後、本当に貧しい生活があってのことであれば、質素な生活に喜びは見いだせず、そういう思考になるのは当然です。今現代、モノやお金がありながらも、満たされない心を持て余す人々もたくさんいることも事実です。 質素の中から、幸せを見出すこと、世界のお金持ちはすでに知っていて、質素で堅実な暮らしの中で幸せを感じながら、人生を豊かなものにしています。 まずは、すぐ目の前にあるもの、今ある環境、小さなことから感謝の思いで見てみませんか。すると、質素な毎日でも、数えきれないほどの感謝でいっぱいで、心がほっと、温かくなってきます。

さらに質素に、朝、外に出れば、まぶしいほどの朝陽、爽やかに吹く風、小鳥の鳴き声、木々の葉っぱのかおり、かさかさと擦れる音。ほんのひと時だけでいくつもの自然を感じることができます。 それさえも幸せだと感じる心、本当に質素でシンプルです。これは、いつでもだれでも感じることができます。 雨の日であれば、窓に打つ雨の音やしずく、葉っぱから雨粒が落ちる瞬間のしなり、いつもより静かに感じる空間、浄化されるような心の静まり、晴れの日とはまた違った自然がいくつもあります。普段の当たり前が、質素な目線で見ると、幸せに感じられるのです。

どんな環境でも、質素な暮らしの中に一つでも幸せを感じることができたら、もうあなたは幸せへの第一歩をふみ出し始めています。気が付けば、質素な暮らし、と意識することもなく、日常すべてが幸せに包み込まれていることでしょう。

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